超絶陰キャの僕がどうやって女性とコミュニケーションをとれるようになったか。
皆さんこんにちは大学生バーテンダーです。
皆さんは女性に対してうまくコミュニケーションとれてますか?
「うーん、微妙だ。」「苦手」「余裕」
色んな方がいると思います。
この質問に関して僕の答えは
「は?余裕っしょ」
です。
むかついた方ごめんなさい。ちょっと我慢してこの記事を見てください。
簡単な自己紹介ですが、私は広島県で生まれました。しかし親の仕事の都合で
広島
↓
京都
↓
東京
↓
神奈川
↓
福岡
↓
長崎
↓
京都
↓
佐賀
↓
今住んでいる場所
こんな感じで沢山引っ越しをしてきました。
幼稚園、小学校は三校づつ経験しました。それなので少女漫画やラブコメにでてくるような幼馴染なんてだれ一人いないのです。
「いやいやそんなに引っ越ししていたらコミュ力なんて簡単につくやろ」とか
「いいな、わたしなんかずっと同じ場所に住んでいるよ」とか
言う方がいます。確かに僕自身幼いころおからいろんな場所を経験できたのはとても貴重な財産になっています。現地には友達がいるし、大学で再開した友人もいます。。
おっと、話がそれました。
皆さんの中には引っ越しのおかげでコミュ力がつくと考えている方がいると思います。
勿論、つく人もいるでしょう。しかしながら僕はそうではありませんでした。
それではそれは一体なぜなのか、そしてどうやって解決したのかをつらつらと話したいと思います。
特に対女性に関して僕は苦労したので......。(笑)
・最初は良かった引っ越し
そう!小さい頃は良かった。小さい頃は。皆さんに分かってもらえるだろうか。小さい頃は誰も深く考えないのだ。
「お!ここは一体どこなんだ?」みたいな感覚だった。
これはまだ幼稚園の頃だ。年齢にして3~6歳の頃だろう。
勿論当時なんて自分の意志を持っていたのかもわからない。
勿論引っ越しなんて概念もありゃしない。
勿論人間みんなこんな感じだと思っていた。
僕が通っていた幼稚園は三校とも私立の幼稚園でどの幼稚園も全児童数が900人オーバーのマンモス校だった。今思えば一人くらい居なくなっても気づかないんではないだろうか
マンモス校ゆえに、お遊戯会となれば地域で一番大きなホールを貸し切っやっていたし、月に一度屋上でマックを食べるマック給食となるものもあった。
そういった経験からか、幼稚園の頃の僕は一年おきに学校が変わるものだと思っていたし、何ならそれを楽しみにしていた。
・別れ
幼稚園生活が終わり、小学校に入学。年齢にして6~12歳の頃
僕は小学校の六年間でこれまた三校経験している。低学年、中学年、高学年の区切りで。
低学年の頃なんて、勉強なんて頭になかったし、宿題をパッパッと終わらせてから友達と遊びまくっていた。当時はスマートフォンなんてなかったし僕たちはポケモンのダイヤモンドパールをこれでもかとやっていた。
楽しい日々は終わりを告げる。小学二年生の最後、引っ越しをしたのだ。小学校の頃から引っ越しという概念が頭の中にだんだんと入ってきた。確かに仲良かった人と別れるのはとても辛かった。
そして迎えた新天地。小学校中学年。8歳の人間にとって理性も付き始めたころ、新たな環境に慣れるのは意外と難しいもんだ。朝礼が終わると机を囲むように人が来る。
最初の方は全然よかった。いつも通り友達と遊んで仲良くしていた。
しかし一年がたつ頃に”ああ、どうせあと一年で引っ越すのか”と考えるようになり、特に仲が良かった人と以外は人と話さなくなっていった。この頃から女の子と話していない。
そして、四年生が終わる頃、親から引っ越しをすることを告げられた。
とにかく悲しかった。また友達がいなくなるのかと思うと心が痛かった。
そして引っ越しを恨んだ。
・完全な陰キャ
小学校高学年。今まで都会を転々としていた僕だが、今回は全国的に見てもかなり田舎の県にやってきた。それゆえ引っ越ししてくる人なんて、いないような所だ。
皆僕をまるで異世界から来たような目で僕を見る。
すごい方言だったが、とにかく話しかけてくる。
しかし、僕は以前の友達が忘れられず、新し学校に馴染もうとしなかった。
”どうせまた友達と離れるんだ”と思っていた。
田舎に来たシティボーイは約一か月で忘れ去られた。
そもそも田舎の小学校となると、大体のカーストは決まっているものだった。
そうして過ごした10~12歳まともに二年間人と話していなかった僕は消えていった。
・失敗した中学受験
さてさて、小学校高学年。誰とも話さず、インキャラを極めていた僕はやることが無かった。遊ぼうにも友達がいない。遊ぼうにも遊ぶ施設がない。
マクドナルドへ行くのに電車で20分そこから徒歩で20分。
そんなところで生きていた。
この頃になると恋バナが盛んになる、○○君が好きだとか、しかし僕には縁がなかった。そもそも男友達がいないのに、女友達なんているはずがないのだ。
人間暇になると何をするのだろうか。僕の場合勉強だった。
死ぬ気で勉強した。もともと勉強はできるタイプではなかったのでちょうど良かった。
よし、進学校を受験しよう。そこに行けば六年間を通しての友達ができる。
車で20分くらいの距離に県内で知らない人はいない中高一貫校があった。中等部、高等部共にとても優秀で、東大、京大、医学部もざらだった。
そして見事に落ちた。
・空気と化した肉体
さあ始まりました、中学にして学歴コンプ人間。しかも悲しいことに進学したのは荒れている学校。市の車に校舎の二階から飛び乗り壊す男。消火器をぶちまける男。
たまったもんじゃないいわ!!!!
という学校で僕がしたものは。そう勉強。
三年間死ぬ物狂いで勉強した。
恋愛?女の子?知らん!!!!!!!!!
とはいえ勉強が実を結んだ。中学受験で落ちた学校に高等部の外部生として合格したのだ。楽しい高校生活が待っている!!!!
・散った高校デビュー
さあ高校デビュー!!!!!
皆さんも想像に容易いだろう。まともに話さず5年間生きてきた。無理だったのだ。
進研ゼミみたいなキラキラした高校生活?え?何それ。
みんながワイワイ会話している。
内部生、外部生関係なく会話をしている。
僕を除いて。何なんだ!ATフィールドでもはってあるのか。
僕が想像していた高校生活は一気に崩れた。
一か月もすれば大体の立ち位置は決まってきた。人気なもの、大人しいもの。その他様々。僕は陰キャだった。
しかしずっとこうでいいわけがない。彼女が欲しい。一緒に帰る彼女。文化祭で一緒に楽しむ彼女。ああ、いい響きだ。
彼女
彼女欲しい
結果僕は単純だった。単細胞生物みたいに。
何をしたともう。モテル部活にはいったのだ
サッカー部
ああこれだけでモテル。キャーキャーいわれたい。
はい。結果は想像の通りです。
サッカーしたことがない僕がモテるわけもない。それだけじゃ女の子は振り向かない。
わかっていた。でも期待していた。
・経験を積むために
進学校に入って、サッカー部に入ろうともモテない。そもそも女の子と話せない。
陰キャを極めた僕にとって当たり前ではあるが、なかなかつらい現実だった。ではどうしようか。
その時に救世主。俗に僕をコミュニケション化け物へと変えてくれた人物とすれ違った。
「保健室のお姉さん」
いやいやおばちゃんの間違いでは?
違うんです。めちゃめちゃ美人のお姉さん。衝撃だった。
あれ?保健室に行けば無条件で女性と会話できる。
あれ?最高じゃん。
次の日から僕の昼休みは教室ではなくて、保健室で過ごすことになったのだ。
保健室は良いぞ~。ここテストにでます。
先生からは、会話の仕方、デートの仕方、服装、とにかく色々学んだ。
どんな日も先生と話した。するとどうだろう、こんなにも耐性が付くとは。
同級生になんら抵抗感が無かったのだ。先生としたたわいのない会話も勉強もすべてそのまま同級生と話すネタになる。
勿論最初からうまくいってたわけではない。
何回も失敗して、何回もくじけた。
そんな時は先生に治してもらった。何うまいこと言ってるんだって?
ふふふ
先生には感謝してもしきれない。5年間まともに女の子と話してなかった人間がここまで変わるのだから。
進学校ということもあり受験勉強も頑張った。女の子と。
誰かと何かを成し遂げようとするときの男は何だってできる。
意味の分からない数式が出ようとも、公式は保健室の先生。解は君。とな感じで。
そして僕は九州では知らない人はいない大学に合格した。
その報告を真っ先に保健室の先生にした。
「ありがとう先生。僕を大人にしてくれて」 意味深である
・そして今
今というもの僕はとてつもなく充実した生活を送っている。
ゼミの女の子とも何不自由なく話せるし、夏には彼女もできた。
コミュニケーションとれたらなんだってできる。
これを武器に人と話すお仕事もしている。
人はやろうとしたらなんだってできるのだ!!!!
今日のカクテル
「ブラッディメアリー」
カクテル言葉は「私の心は燃えている」